地球環境の変化が人々の暮らしに及ぼした影響の中で、最も大きな変化が見られるのは土器の出現です。日本列島で作られた土器で一番古いとされるは、現在の青森県
ちなみに、皆さんがよく知っている派手な飾りのある縄文土器は、約5千年前に作られました。この飾りの特徴は、千葉・茨城、山梨・長野地域などそれぞれの地域で異なっています。また栃木県内からも、那須塩原市の
最初の頃の土器の形は、底がとがった形をしており、その下半分を埋めて周りで火をたき、中の物を加熱するような使い方をしました。約6千年前には、煮炊きする炉に置きやすいよう底が平らな土器が作られました。縄文土器は、単に調理するための器以外にも、容器としてあるいは器の中に入っているモノに意味があることを示すために作られたのです。
では、なぜ土器が作られるようになったのでしょうか? たとえば、皆さんが夜遅くまで試験勉強をしてお腹が減ったとき、やかんを使ってお湯を沸かしてカップ麺を食べるかもしれません。これと同じ理由で、縄文人は土器を作ったのかもしれません。そして当時、主に採取していたトチノミやクヌギ、アカガシなどの木の実は苦みや渋みを感じさせる物質を含んでいるため、そのままでは食べられません。その成分を取り除くために土器に
また、縄文土器の中には高さ1mくらいの大きなものもあります。このような大きな土器には、木の実などの食料を貯蔵したと考えられています。また、乳幼児が亡くなるとこの土器に遺体を入れて
「縄文」の名付け親は、アメリカの動物学者エドワード・S・モースです。モースは明治10(1877)年、東京府(現・東京都)大森貝塚を発掘調査し、報告書で「Cord marked pottery」(縄目をつけられた土器)と記し、その日本語訳として「縄文」という言葉が定着しました。
(文/下野市教育委員会文化財課 山口 耕一)