• 学習情報

(社会科コラム3)土器の始まりの秘密にドキドキするかも

2021.12.17

地球環境の変化が人々の暮らしに及ぼした影響の中で、最も大きな変化が見られるのは土器の出現です。日本列島で作られた土器で一番古いとされるは、現在の青森県外ケ浜そとがはま町の遺跡から出土した約1万6,500年前のものです。この土器の表面には、まだ縄などによる文様はありません。約1万2千年前でも縄をよることができなかったので、指の爪で付けたような模様やそうめんのように細い粘土紐を土器の表面に貼り付けたものを作りました。

ちなみに、皆さんがよく知っている派手な飾りのある縄文土器は、約5千年前に作られました。この飾りの特徴は、千葉・茨城、山梨・長野地域などそれぞれの地域で異なっています。また栃木県内からも、那須塩原市の槻沢つきのきざわ遺跡をはじめ、特徴のある土器が出土しています。これらから、数千年前からそれぞれの地域の文化が行き来していたことを示しています。

那珂川流域の深鉢形土器の移り変わり。7・10~13の土器は底がとんがった形をしている(栃木県立なす風土記の丘資料館第20回特別展図録『那須の縄文社会が変わるころ』より)

最初の頃の土器の形は、底がとがった形をしており、その下半分を埋めて周りで火をたき、中の物を加熱するような使い方をしました。約6千年前には、煮炊きするに置きやすいよう底が平らな土器が作られました。縄文土器は、単に調理するための器以外にも、容器としてあるいは器の中に入っているモノに意味があることを示すために作られたのです。

では、なぜ土器が作られるようになったのでしょうか? たとえば、皆さんが夜遅くまで試験勉強をしてお腹が減ったとき、やかんを使ってお湯を沸かしてカップ麺を食べるかもしれません。これと同じ理由で、縄文人は土器を作ったのかもしれません。そして当時、主に採取していたトチノミやクヌギ、アカガシなどの木の実は苦みや渋みを感じさせる物質を含んでいるため、そのままでは食べられません。その成分を取り除くために土器に灰汁あくを一緒に入れて煮込み、すりつぶして水にさらした後にお湯で煮るなどして食料としました。また、人が生きていく上で必要な塩も、海水から効率よく作るために土器は使われていたのです。

また、縄文土器の中には高さ1mくらいの大きなものもあります。このような大きな土器には、木の実などの食料を貯蔵したと考えられています。また、乳幼児が亡くなるとこの土器に遺体を入れてひつぎとして埋葬することもありました(たとえば、那須町ハッケトンヤ遺跡出土土器など)。生まれた子供が亡くなって残念な気持ち、また子供が丈夫に育ってほしいという親の心は何千年たっても変わらないのです。

《キーワード》縄文
「縄文」の名付け親は、アメリカの動物学者エドワード・S・モースです。モースは明治10(1877)年、東京府(現・東京都)大森貝塚を発掘調査し、報告書で「Cord marked pottery」(縄目をつけられた土器)と記し、その日本語訳として「縄文」という言葉が定着しました。

土器の上にフタをした珍しい土器(復元)。土器に亡くなった乳幼児を納めて埋めたと考えられる(那須町ハッケトンヤ遺跡出土:所蔵・写真提供:栃木県教育委員会)

(文/下野市教育委員会文化財課 山口 耕一

ハッシュタグ

リンク