教科書のイラストなどには、当時の住まいや服装などが描かれていますね。では人々はどんな物を食べていたのでしょうか。小山市金山遺跡から出土した調理具や食器などから考えてみましょう。
金山遺跡は小山市東野田にあります。新4号国道(バイパス)が今から30年ほど前に建設された折に発掘調査が行われました。この遺跡から室町時代初期の屋敷と水田が発見され、この地方に生きた人々の暮らしを知る貴重な手掛かりとなりました。
ここで想像してみてください。皆さんの手元には石臼があります。石臼は、穀物を粉にすることができます。木製の鉢で粉をこねることもできます。また擂り鉢があります。擂り粉木、切匙と共に、食材をすりつぶす道具です。切匙というのは、擂り粉木にこびりついた食材をそぎ落とすヘラで、「おせっかい」という言葉はここからきているそうです。
さて、これで何をこしらえて食べましょうか。もちろん包丁、まな板、おろし皿もあったはずです。食材があればほとんどの和食は作れますが、練り物やあえ物、中でもこねて作る料理が充実していたことが想像できます。みそ、しょうゆなどの調味料も自分の家で作れました。
加熱のための道具には、鍋や釜がありました。古代からの土器に加えて、鉄鍋や鉄釜も普及しました。内耳鍋は内側にとってが付いています。外側に付けると、つるが燃えてしまいますよね。内耳鍋があれば、囲炉裏で火にかけていろいろな料理が作れそうです。山梨県のほうとう、群馬県のお切り込み、ひもかわ、佐野市の耳うどん、埼玉県の川幅うどんなど、煮込みうどん系は得意だったと思います。これら郷土料理の起源は必ずしも明らかではありませんが、地域のソウルフードとなっていることにも注目してください。これからも大切にしていきたいですね。そのほかに串に刺して焼いたり、竈でご飯を炊いたり、湯がく、蒸すなどの調理もできました。
食器も木製の椀や、漆を塗って仕上げた漆器を使いました。金山遺跡からは「かわらけ」と呼ばれる素焼きの皿も出土しました。現代でもお盆の時に使います。元々は使い捨ての食器でしたが、灯りをともしたり、謎の呪文を書いてまじないにも使いました。
意外かもしれませんが、中世の食文化の充実には仏教、特に禅宗が大きな役割を果たしたといわれています。厳しい修行と研ぎ澄まされた心で悟りの世界を目指すために、食事はとても大切とされました。新しい食材や調理具、そして精進料理のレシピが開発されました。こうした食文化は、安土桃山時代になって総合芸術である茶道に取り入れられ、懐石料理としてさらに発展することになります。
現代の私たちがイメージする日本文化のほとんどは、室町時代に源流があるといわれています。食文化も例外ではないようです。その背景には、次第に生活水準を向上させていく庶民の姿があると言いえるのではないでしょうか。
お茶は日本で鎌倉時代に臨済宗を開いた栄西が、中国から伝えたとされています。中世には裕福な庶民にも普及したようです。金山遺跡から茶臼や天目茶碗が出土することからも分かります。水分補給は健康にもいいし、心を落ち着かせる効果もあります。日本文化のさまざまな面に大きな影響を与え、室町時代には「一服一銭」といって庶民も煎茶を味わうようになりました。
(文/足利市文化財専門委員 齋藤 弘)