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(社会科コラム14)江戸幕府が整備した五街道のうち2つが栃木県内を通っていた

2022.05.13

世界で一番長い並木道が栃木県にあることを知っていますか? 日光東照宮へ向かう道沿いには、江戸時代に造られた並木道があります。植えられた杉の数は2021年時点で12,126本にもなります。総延長約37kmは、JR山手線や宇都宮環状道路よりも長い距離で、ギネスブックの“Longest avenue of tree”に認定されています。この並木道のひと一つ「日光街道にっこうかいどう」は江戸幕府が整備した「五街道ごかいどう」と呼ばれる街道の一つです。

1600年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、翌年から主要街道の整備を始めました。街道の整備は、家康の後を継いだ2代将軍秀忠によってさらに進められます。この時に整備された五つの道「東海道とうかいどう」「中山道なかせんどう」「甲州道中こうしゅうどうちゅう」「日光道中にっこうどうちゅう」「奥州道中おうしゅうどうちゅう」が「五街道」です。街道沿いには宿駅しゅくえきが設定され、公用の荷物や手紙を運ぶための人や馬(伝馬てんま)を用意することになりました。

下野国の中には五街道のうち、日光に向かう日光街道と東北地方に向かう奥州街道の2二つの街道が通っています。日光街道と奥州街道は江戸から宇都宮までは同じ道で、宇都宮の伝馬町で二つの道に分かれました。奥州街道は、東北地方の大名たちが江戸へ向かう参勤交代で使う道でした。一方の日光街道は徳川家康をまつる日光東照宮へ参拝するための道で、どちらも江戸幕府にとって重要な街道でした。なお宿駅になった場所(宿場しゅくば)は、地図の通りです。これらの宿駅は、多くの人と物が集まる町として発展しました。

江戸時代の下野国(栃木県)を通っていた主な街道(川田純之『宇都宮藩と城下・村の人びと』掲載地図を転載)

現在の街道沿いには杉並木の他にも江戸時代の面影おもかげが残っています。その一つが一里塚いちりづかです。一里塚とは、江戸幕府が主要街道の両脇に一里(約4km)ごとの印として作った塚のことをいいます。塚の上には、塚の崩壊を防ぎ、目印とするためにえのきや松が植えられました。

JR宇都宮線小金井駅の西側で国道4号沿いにある小金井一里塚は、江戸の日本橋から22里目(約88km)に当たり、国の指定史跡にもなっています。現在は円形の塚ですが、元は方形であったことが分かっています。

国道4号西側にある小金井一里塚(下野市小金井4丁目)。両側の一里塚の道幅は当時のまま

実は日光道中と奥州道中がいつ完成したのかは、はっきりと分かっていません。1602年に宇都宮の町人ちょうにんたちが、年貢を免除される代わりに伝馬役てんまやく(*)を負担するように命じている古文書が残っています。そのため、この頃から街道と宿駅の整備が始まったのかもしれません。しかし、街道沿いの宿駅である小山宿や小金井宿、雀宮宿などは元和げんな年間(1615~1624)以降にできたという伝承も残っています。そのため、日光道中、奥州道中の完成は東海道などよりは遅かったと考えられています。

*伝馬役・・・街道の宿駅で公的な貨客輸送を行うための仕事。

《キーワード》宿場の成立

宿場には宇都宮のような大きな町や村が選ばれましたが、そういった場所がない時ときは近くの集落を街道沿いに移転させ、新たな宿場町としました。例えば、小山宿は現在の市街地よりも東に位置する犬塚辺りから集落を移転したといわれています。このように計画的に作つくられた宿場の町割りは規則的で、家は間口が狭く奥行きのある、いわゆる「うなぎの寝床」の形になりました。

(文/鹿沼市教育委員会文化課 堀野 周平

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