2019年末から世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症は、私たちの生活を大きく変えました。「新しい生活様式」やワクチンなど、科学にもとづく対策が進められる一方、アマビエ伝説や宇都宮の黄ぶなのような各地に残る無病息災の祈りも注目されるようになりました。
黄ぶなは田川で捕れた黄色いフナを食べたところ疱瘡(天然痘)が治ったという民話を基にした正月用の縁起物です。
天然痘は感染力が強く、致死率も30%台という怖い病気で、江戸時代には毎年のように流行していました。鹿沼市の生子神社は天然痘で亡くなった子が生き返ったという伝説が残る神社で、江戸時代から子どもの健やかな成長を願う「泣き相撲」が行われています。天然痘は現在では種痘というワクチンによって完全になくなりました。
麻疹も江戸時代の人びとの命をおびやかした感染症でした。江戸時代には約20年おきに大流行し、免疫を持たない大人も感染しました。大流行した文久2(1862)年には、江戸市中だけで14,210人が亡くなりました。
矢板市中の麻疹地蔵は、地蔵を削って飲むと麻疹が治るといい、「はしかの流行する度に参詣の者が多い」と当時の書物に記されています(『下野国誌』)。長年にわたって多くの人が削ったため、今では原形を留めていません。また、橋をくぐると麻疹が軽く済むという伝承も各地にあり、宇都宮市新里町の橋潜り地蔵や、大田原市雲厳寺の太鼓橋、那珂川町諏訪神社の神橋、鹿沼市西沢町の浄海橋などが知られています。
麻疹は予防接種のおかげで、平成19(2007)年に高校生・大学生を中心に流行して以降、国内では流行していません。
細菌やウイルスの存在を知らなかった当時の人びとは、感染症は悪い神「疫神」の仕業と考えていました。日光市芹沼には、境界や辻に大きなワラジを飾って「巨人がいる」と疫神を驚かせて村に入れないようする行事があります。また、県内各地には、疫神に病気を流行させないと謝らせた古文書が残されています。もちろん、これらの古文書は本当に疫神が書いたわけではありません。しかし、人びとはこれを持っていたり、枕元に貼ったりすれば病気から命を守れると考えていたのです。
これらの行事やおまじないは現代から見ると、滑稽にしか思えないかもしれません。しかし、これらは私たちの祖先が感染症と闘い、そして克服してきたことを示した歴史の一面でもあるのです。
天然痘は一度かかると免疫が得られるので再発しません。1796年、イギリスの医師エドワード・ジェンナー(1749―1823)は牛の病気である牛痘を人に植えることで天然痘の免疫を作り出す「種痘」を成功させます。日本における種痘は、嘉永2(1849)年7月に長崎で成功し、その後、全国各地に普及しました。下野国では嘉永3(1850)年3月に壬生藩が子どもに実施したのが最初です。種痘の発明によって、天然痘は人類が唯一根絶できた感染症になりました。
(文/鹿沼市教育委員会文化課 堀野 周平)