現在、都道府県名と県庁所在地と違う都道府県は東京都を含めて19あります。私たちの暮らす栃木県も宇都宮市に県庁があるのでこの中の1つです。しかし、栃木県には栃木市があります。なぜ宇都宮市に県庁があるのに「宇都宮県」ではないのでしょうか。その答えは栃木県の最初の県庁が栃木町(現在の栃木市)にあったからです。
明治4(1871)年11月、下野国にあった複数の県が統合されて2つの県ができました。栃木県と宇都宮県です。この時の栃木県は栃木町に県庁を置き、下野国南部と現在の群馬県の一部を管轄していました。一方の宇都宮県は、宇都宮町に県庁を置き、下野国北部を管轄しました。
現在の栃木市役所周辺に県庁があり、周囲約1キロメートルをめぐる堀が今でも残っています。
明治6(1873)年6月15日、栃木県と宇都宮県が合併しました。この時、県庁は栃木町に置かれることになったので、県名は「栃木県」となりました。栃木町には官庁や学校・銀行など文明開化を象徴する施設が集まるようになります。栃木町がにぎやかになることに県下一の都市だった宇都宮町の人びとは対抗するようになり、明治15(1882)年ごろから宇都宮に県庁を移転しようという運動が始まります。
そして明治17(1884)年1月、栃木県は宇都宮が①県の中央にある事、②国道が通っている交通の重要地点であることの2つの理由を挙げて県庁を塙田村二里山(現在の宇都宮市塙田)に移しました。こうして栃木県の県名と県庁所在地は食い違うことになったのです。
しかし、県庁が移った明治17年1月に県名が「栃木県」から「宇都宮県」に5日間だけ変わっています。明治17年1月24日、栃木県は「宇都宮県令」(今の知事)の名前で
「乙第十一号」という布達を出し、「県名は宇都宮県に改称したが県庁の移転が済むまでは旧栃木県庁で事務を行う」と県下の人びとに知らせました。しかし、県名の改称は政府の指令にもとづくものではなく、県の職員たちの勝手な判断でした。県庁が宇都宮に移ったのだから県名も「宇都宮県」に代わるはずだと勘違いしたのです。そのため、布達が出た5日後の1月29日、今度は「栃木県令」の名前で「乙第十五号」という布達が出され、先の「乙第十一号」は取り消されました。
この騒動は明治から昭和期にかけて活躍した宮武外骨というジャーナリスト・歴史研究者が明らかにしたものです。宮武はこれを「空前の大ヘマ」、前例もなければ後例もない「唯一無二の珍事」として紹介しました。県庁をはじめとした役所や警察署、学校などは、二転三転する県名の変更で、施設の名前や表札の書き換えなどで混乱したといいます。
けれども宇都宮に県庁が移った時、県名が「宇都宮県」に変わっていれば、社会の勉強で県庁所在地を覚える苦労が少し減ったかもしれませんね。
明治6年6月15日に栃木県が誕生したことから、6月15日は「県民の日」となっています。栃木県ができた当時は、全国で府県の統廃合が進められており、同じ年の同じ日に千葉県と熊谷県(現在の群馬県と埼玉県北部)も成立しました。そのため、千葉県の県民の日も6月15日になっています。栃木県は来年(2023年)で誕生から150年を迎えることになります。
(文/鹿沼市教育委員会文化課 堀野 周平)